新潟県長岡市中之島 龍川山 妙栄寺 お寺の歴史

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新潟県長岡市中之島 龍川山 妙栄寺 コンテンツ


〒954-0124
新潟県長岡市中之島1781-1
TEL:0258-66-2607



越後国 妙栄寺の歴史

年号 お寺の歴史
慶長七年
(1602)
龍川山 妙栄寺 創建
新発田領主溝口秀勝候の武功により、当地を賜ったので、当地に龍川山妙栄寺を建立した。開山上人に、総本山身延山久遠寺 第十五世宝蔵院日叙上人のお弟子恵光院日遥上人を向かえ、当時杉之森(現在移転した新寺所隣接地)の羽賀孫右衛門を開基檀那に創建された。
元禄六年
(1694)
元禄六年(1694) 第四世 恵教院日了上人の代、六月十八日客殿建立。 寺領の上米、四石七斗八升であった。
宝永六年
(1709)
第五世 慈光院日龍上人の代、庫裡完成。
宝暦十三年
(1763)
第八世 遥聞院日昌院上人の代、大曲戸村に原野三反歩求める。
天明六年
(1786)
第十世 瑞運院日栄上人の代、大鐘が造営される。直径二尺三寸竜頭を除く高さ三尺五寸、厚さが二寸四分であったと記録にある。
享和三年
(1803)
第十三世 遠令院日京上人(石川県羽咋滝谷、本山妙成寺第三七世に晋山)の代、開基以来の日蓮大聖人像、諸尊像をお洗濯する。新発田の仏師高幡源四郎に頼む。
文化八年
(1811)
日京上人の代、庫裡再建なる。大工は、長岡領、黒津村、西 平蔵とある。
文政九年
(1826)
第十四世 幽遠院日篤上人(山科檀林第二八八世)開山上人第百五十回忌法要を厳修し、境内に開山日遥上人の墓を建立する。
天保三年
(1832)
鐘楼完成、諸尊像お洗濯御、諸々の普請が行われる。
嘉永七年
(1854)
第十五世 妙信院日光上人の代、高祖日蓮大菩薩等を建立。 客殿再興される。
慶応四年
(1868)
六月二日、時将に戊辰戦争の中、ここ中之島と今町は戦場でした。長岡藩の軍勢により火を放たれんとするとき、時の住職第十七世恵妙院日耀上人が之を遮った為、銃殺され、その後残灰の中より、数珠を手にし、合掌したまま亡くなられた日耀上人が発見されました。 今日まで諸般を考え、準暦第十七世恵妙院日耀上人としてきましたが、今回の復興にあわせて第十六世恵妙院日耀上人とし、今まで第十六世とすることに致します。

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