年号 | お寺の歴史 |
慶長七年 (1602) |
龍川山 妙栄寺 創建 新発田領主溝口秀勝候の武功により、当地を賜ったので、当地に龍川山妙栄寺を建立した。開山上人に、総本山身延山久遠寺 第十五世宝蔵院日叙上人のお弟子恵光院日遥上人を向かえ、当時杉之森(現在移転した新寺所隣接地)の羽賀孫右衛門を開基檀那に創建された。 |
元禄六年 (1694) |
元禄六年(1694) 第四世 恵教院日了上人の代、六月十八日客殿建立。 寺領の上米、四石七斗八升であった。 |
宝永六年 (1709) |
第五世 慈光院日龍上人の代、庫裡完成。 |
宝暦十三年 (1763) |
第八世 遥聞院日昌院上人の代、大曲戸村に原野三反歩求める。 |
天明六年 (1786) |
第十世 瑞運院日栄上人の代、大鐘が造営される。直径二尺三寸竜頭を除く高さ三尺五寸、厚さが二寸四分であったと記録にある。 |
享和三年 (1803) |
第十三世 遠令院日京上人(石川県羽咋滝谷、本山妙成寺第三七世に晋山)の代、開基以来の日蓮大聖人像、諸尊像をお洗濯する。新発田の仏師高幡源四郎に頼む。 |
文化八年 (1811) |
日京上人の代、庫裡再建なる。大工は、長岡領、黒津村、西 平蔵とある。 |
文政九年 (1826) |
第十四世 幽遠院日篤上人(山科檀林第二八八世)開山上人第百五十回忌法要を厳修し、境内に開山日遥上人の墓を建立する。 |
天保三年 (1832) |
鐘楼完成、諸尊像お洗濯御、諸々の普請が行われる。 |
嘉永七年 (1854) |
第十五世 妙信院日光上人の代、高祖日蓮大菩薩等を建立。 客殿再興される。 |
慶応四年 (1868) |
六月二日、時将に戊辰戦争の中、ここ中之島と今町は戦場でした。長岡藩の軍勢により火を放たれんとするとき、時の住職第十七世恵妙院日耀上人が之を遮った為、銃殺され、その後残灰の中より、数珠を手にし、合掌したまま亡くなられた日耀上人が発見されました。 今日まで諸般を考え、準暦第十七世恵妙院日耀上人としてきましたが、今回の復興にあわせて第十六世恵妙院日耀上人とし、今まで第十六世とすることに致します。 |